塀の中の彼女が本当に求めていたものは、深い香りの奥に

『BUTTER』 柚木麻子(著) 新潮文庫

あらすじ

婚活サイトを介して男たちから金を奪い、三人を殺した罪に問われているカジマナこと梶井真奈子。若くもなく、美人でもない彼女がなぜ複数の男性と付き合い、そして殺害に至ったのか。週刊誌の記者である町田里佳は、梶井との面接を取り付けた。

梶井は里佳に対し、指定したものを食べ、その感想を注げるように命じる。梶井の指示に従い、行動するうちに里佳の外見にも内面にも変化が訪れ、やがてそれは友人や恋人、仕事までも巻き込んでいく。

女性記者、里佳は梶井に注目する

『週間秀明』の女性記者、里佳はハードな毎日を送っています。いくつかのスクープを取り、社内でも認められている存在。そんな里佳が注目したのは、首都圏不審死連続殺人の容疑者である梶井真奈子です。

美食家でも知られる梶井は、交際相手とともに高級レストランに出向いたり、セレブな女性たちが集まるような料理教室に参加し、本格的なフランス料理などを作っていたと言います。

カロリーの高いものをよく食べ、そして周囲の目線を気にしたり、ダイエットなど一切考えない姿勢を持つ梶井の内面に迫ってみたいと里佳は考えます。梶井の内面に注目する事で、自分の心の奥に燻っているものに何らかの答えを見つけ出せるのではないか、とも。

親友からのアドバイスを受け、梶井との面会が可能に

里佳の親友、怜子は結婚を機に仕事を辞め、妊活中。家事を完璧にこなし、健康と味わいに隅々まで心遣いが行き渡った怜子の手料理を味わっているときに、彼女から梶井の取材依頼手紙には「レシピを教えて欲しい」と書き添えるといい、とアドバイスを受けます。その通りに手紙に一文を添ええて送ったところ、何と梶井から面会の許可をもらえたのでした。

初対面の梶井から指示されたこととは

ふくよかでツヤのある肌と髪をした梶井。事件に関して何も話をするつもりはない、という彼女が里佳に聞いてきたのは冷蔵庫の中身。ろくなものが入ってない貧相なその内容を告げた里佳に、梶井は

「私は亡き父親から女は誰に対しても寛容であれ、と学んできました。それでも、どうしても許せないものが二つだけある。フェミニストとマーガリンです」

「バター醤油ご飯を作りなさい」

バターの良さがわかる一品であり、頭の中でその画を想像したであろう梶井はリアルに、その香りさえも漂ってきそうなバター醤油ご飯の様子を語ります。そして里佳は自宅でその通りに作り、口にした途端「落ちる」かのような、力強くあくどい旨さを持ったご飯をかきこんだのです。

食生活が変化し始めた里佳

166センチ、40キロ代後半でかなり細身の里佳。普段の食事は、コンビニなどで買ったものを口の中に押し込むだけのようなものでした。ふくよかな香りとまろやかな油をまとったバターの魅力に夢中になってからは、バターたっぷりのたらこパスタや、梶井に勧められた高級レストランでの食事などハイカロリーの食事を摂り続け、どんどん体重が増えていきます。

親友の怜子は「梶井に影響されすぎではないか」と心配し、恋人は「自分の体を管理できていないんじゃないか」とたしなめ、上司や取材相手からは蔑むような目線を向けられます。もともと痩せすぎなくらいであった彼女が5キロや10キロ太ったところでいわゆる標準体型だと思いますし、何より里佳が元気に働いているのであれば何も問題はないのだと思うのですが。

体型が変化した里佳に対する周囲の反応

里佳は世間が女性に対して求めるものに違和感を感じます。梶井との出会いにより、食に気を使う事なくストイックに仕事をしていた自分から解放されようとしています。そんな里佳の姿に不安を感じる周囲の人間は彼女の足を引っ張るかのような言葉を投げかけてきます。

里佳が梶井を取材する本当の目的とは

梶井との面会を繰り返し、その言葉に従ううちに梶井の崇拝者のようになりかけていた里佳。そこには、過去に起こった出来事が関係していました。冷めたバターのように澱となり、塊となっていたその部分は、梶井との出会いにより熱を持ち、溶け出しました。流しきってはじめて、改めて取材者として梶井と対峙した里佳は、記者としての成功を収めたように見えたのですが。

梶井が求めたものと、振り回された里佳

食べるものと価値観はどこかで繋がっています。フェミニストとマーガリン。口当たりよく軽やかなものにキッパリと決別しながらも、その心の奥では手に入れる事が出来なかったものを求め続けた梶井。

そうした梶井に引きずられ、揺さぶられた後の里佳に残ったものは、ボロボロになった「里佳自身」です。太っても、考え方に変化が出ても、やはり里佳は里佳であり、周囲にとっても大事な存在なのです。そうなりたいと望んでいたのに、なれなかった梶井だからこそ、悔しい思いをし、里佳を裏切ったのかもしれません。

ふくよかで、まろやかな光を放ち、食材の旨味を引き立てるバター。被害者男性たちにとって梶井はそんな存在、あるいは梶井自身がそうありたかったのかもしれません。しかし、皆を包み込むようなものを持っていたのは、かつて細い体でキリキリと働いていた里佳のほうだったのではないでしょうか。

まとめ

親友の怜玲子や母、同僚や後輩、恋人、仕事上の付き合いの男性までに気をかけ、自分なりに心を配り、意思を伝え、その返答に傷つく。不器用ながらも、嘘のない誠実な彼女は、バターを体に取り入れ、自らの心のゲートを開き、皆に少しずつ安心感を与えるような存在へと変化していくのです。

それは、あくどい旨さを持ったバターを知ったからこそ心に余裕のようなものが生まれたのかもしれません。そうした里佳の変化、彼女の影響による周囲の変化に圧倒され、読後には深く長いため息が出る、バターのように心に沁みる物語です。

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