多彩な味わいを楽しむ料理アンソロジー

『注文の多い料理小説集』

柚木麻子、伊吹有喜、井上荒野、坂井希久子、中村航、深緑野分、柴田よしき(著)  文春文庫

概要

今をときめく7名の作家が「料理」をテーマに描くアンソロジー。

「エルゴと不倫寿司」  柚木麻子(著)

柚木麻子著「エルゴと不倫寿司」は、タイトルからしていかがわしい雰囲気が漂います。イタリアンと寿司を融合させた、おしゃれで薄暗い店内は、欲望渦巻く男性が狙った女性を連れてくる店。そこに入ってきたのは、エルゴの抱っこ紐で赤ちゃんを抱いた一人の母親です。

赤ちゃんを抱っこした一人の女性客

化粧っ気もなく、一人でズカズカと入ってきて、カップルばかりが座るカウンターの一席にドスンと座り


「すみません、子連れで!でも、この子今、よく寝てるし、私パッと食べて、サクッとハケますんで!」


と太い声で言うのでした。どうやらオーナーの知り合いであるらしいのですが…。

彼女の存在に圧倒されるお客たち

戸惑うシェフに小肌!ビール!と注文するも、ワインしかないと冷たく言われるこの母親、しかしめげずにワインリストを要求。一本飲むのか!?と周囲も驚きの顔を隠しきれません。どうやら彼女はもともと酒豪で、授乳中はもちろん飲めずにいました。そしてついに夜間授乳が終わったので、我慢していた生モノと酒を口にしたいのだと。

なるほど、そういった状況なのですね、それはたいへんでしたね…としみじみ思うのも束の間、彼女の快進撃がはじまります。店にそぐわない、ワインの知識もない、育児に疲れた女性かと思いきや、なんだか通の人しか知らなそうなワインを注文。おまけに、そのワインの特性と、お鮨にどう合うかをサラッと述べるのです。

めちゃ美味しそうな料理を提案

そして続けてジャブを繰り出す。この方、ワインに合う料理をその場でシェフに作ってもらうのです。その料理がまた美味しそうで…。食材がないと言われれば別の食材を代用して!とテキパキと指示を出し、ワインをゴクゴク飲んでは、カーッうまい!みたいな様子。

圧倒的な強さと存在感を示す彼女は、店内の空気も変えていきます。
こうした変化をもたらすこの母親に、なんだよ、と顔をしかめる男性陣。何かしらの打算があって、男性と共に店にやってくる女性たちは、興味深い目つきで母親を眺め、その姿に彼女たちの眠っていた感覚が呼び起こされるようなのです。

彼女の存在がお客たちに変化をもたらした

男たちの打算と欲望、それを満たすために提供されるおしゃれイタリアン寿司屋、という空間。そこを土足で入ってきたかのように見えた一人の母親は、自分自身の「食」という欲望を、何者にも汚されることなく、最高の形で達成したのでした。

男性に付随していた存在であるカップルの女性たちは、その姿に刺激を受け、自分の足で、自分のために生きることを思い出したようです。

薄っぺらい欲望の滑稽さ、本当に望むものを手に入れよう(この場合は口に入れる?)とする力強くたくましい姿。その強さと美しさが、美味い料理を一皿平らげるごとに増していくように感じる、痛快で力が湧いてくる物語です。

「福神漬」    深緑野分(著)

この美食と力の作品の対極にあるように見えるのが深緑野分さんの「福神漬」です。

両親の経営していた喫茶店が立ち行かなくなり、経済的に苦しくなった大学生の主人公。大学を休学し、食費を切り詰め、コンビニと病院の清掃のアルバイトをしながら日々を過ごしています。

お金がない中、侘しい食事事情

ブヨブヨのあんまんか、スペシャルな肉まんか。数十円をガマンして安くて美味しくない方を選ぶ日々。美味しくなくても何か入れなければ身体がもたない。これはカロリーだと思えば悪くない…。

残念な味わいだけれど、こういうものだと思えば悪くない、と自分に言い聞かせて食べる主人公は気の毒な面もありますが、悲劇になりすぎないのは、「仕方がない」のではなく「悪くない」という言い方が少し前向きに感じられるからかもしれません。

主人公がバイト先で見た風景

清掃のアルバイトでやってきた病院の食堂で食事を摂る主人公。本を片手に水っぽい、これまたあまり美味しくないカレーを食べていたところ、昔の食堂ではサバの煮付けに福神漬けが添えられていた、という表記を見つけます。それは組み合わせとして合うのか?そんな風に主人公が考えたとき、景色が一変するのです。

それは昔の食堂そのままで、磯臭いどころか生臭ささえあるアサリ丼、お醤油で茶色く染まった豆腐、薄すぎて透けている実のないみそ汁。それをかっこむ人々。まさに生きるために食事を「摂る」といった風景が、主人公の目の前に現れたのでした。

「食」の本来の姿

主人公が見た風景は、美食とは対極にある、「体に入れるもの」としての食事。体に取り込み、体を動かすための「食」の風景を見せてくれたのは、味や素材、その意味などをいろいろな情報を加算してしまう現代の我々に、「食」というものはもっと単純でシンプルなものなんだよ、ということを教えてくれるようです。

まとめ

個性あふれる七人の作家による食の物語。心惹かれるメニューあり、料理がつなぐ絆あり、仕事としての味わい方あり、色と食との組み合わせの妙ありと、バラエティに富んだお話ばかり。それぞれの視点と「料理」の捉え方、置き方もそれぞれで、そうした部分を比較しながら読むのも楽しいアンソロジーです。

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